道草ばかりの人生  長山 伸作
 プロローグ
 生 誕 期
 思 春 期
 東芝に就職
 東芝山岳会
 夢のチロル
 ザルツブルグ−1
 ザルツブルグ−2
 チロル・シュルンス−1
 チロル・シュルンス−2
 男と女 出会いと別れと
 創 業 期
 結婚と家族
 浮き 沈み
 最愛の弟に
 中小企業考
 事業継承考
 スローライフ

写真/ザルツブルク城
ザルツァッハ川の対岸、カプツィーナベルクの冬は静寂が戻る。観光者も訪れない丘の散策路を独りぶらつく。詩情豊かなたたずまいに、タイムスリップして中世を夢見る。
ザルツブルク案内



 ザルツブルク−1 Salzburg 1968

何とかなるさ、が僕の信条なのだが

憧れのザルツブルグに着いたときは、これからの生活を考えると、不安が大きく増幅するのを感じた。アパートを貸してくれるだろうか。仕事は見つかるだろうか。皿洗いでも何でもいい。「何とかなるさ」が信条の私ではあるが、さすがに先の不安を考え込んでいた。

この町は人口15万人ほどの中世から栄えた美しい都であり、ご存知モーツアルト生誕の地である。夏の音楽祭は世界的に有名で、名だたる音楽家とクラシックファンが集まってくる。また、ミュージカル映画、サウンドオブミュージックの舞台になり、ジュリー・アンドリュースの歌声と共に、街角や石畳の小径、郊外の高原シーンが、そのままの光景で映し出される魅力的な叙情溢れる街である。計画当初から、最初の拠点としてここを選んでいた。駅に降り立った私たちは、まずは必要のない荷物を預け、インフォメーションで今晩の安宿を求めた。

2週間は観光目的でチロルを周回することにし、ヒッチハイクで、湖沼群の風光明媚なザルツカンマーグートを振り出しに、ダッハシュタインの山頂を極めてから、インスブルックを抜け、アールベルクにさしかかったが、ここでまた車を降ろされた。ヒッチハイクもそれなりに経験が必要で、車を止めやすい場所選びがコツになる。しかしアールベルクの峠道は、通る車が少なく夕暮れ時では止まってくれない。救いの神が自転車から声を掛けてくれた。「私の家においで」。
チロルの人々のやさしさに触れ合った最初の出来事だった。食事をご馳走になり庭の離れに泊めてくれた。親切へのお返しに用意した扇子をプレゼントして、また旅を続け、憧れのツェルマットからマッターホルンの山麓を徘徊した。いつの日か、この山を登るぞ!


旅の途中で知り合った日本人ダンサーの紹介で、ザルツブルクに住む場所を確保できた。まずはドイツ語をマスターしなければならない。ラジオで修得したNHKドイツ語講座はほとんど役立たず。ザルツブルク大学で、外国人のためのドイツ語講座が開かれているので、早速手続きして通い始めた。受講生は全員外人である。フランス人、イタリア人、アメリカ人。中には当時共産圏だったハンガリーやユーゴスラビアの人たちもいた。ハンガリー女性はびっくりするほど美人で、白人系と東洋系の接点は、美人を産出することが頷けた。

右上の写真はルイゼ。ユーゴスラビア人で、チトー大統領の「自由主義圏出稼ぎ政策」により故郷を離れて働く一人であり僕の学友第一号である。現地で知り合った日本人女性、杉本健吉画伯の娘さんに言われた言葉、「語学を早期に習得するならガールフレンドを持つこと」。早速、講座の隣に坐った女性に声をかけた。すんなりOKがでて半年近く文通したりザルツァッハ川の畔を散策したり、丘のベンチに寄り添ってドイツ語の教科書を開き、読みあった純な仲である。

日本名は呼びにくいので、僕はSHIN、「シン」と呼ばせた。以来現地ではどこでも、この名前で通した。ちなみに渡欧を一緒したI君は、ミッキーになった。


金は貸すな、やったと思え。
ミッキーは現実派なので、すでにアパートを引き払いゲトライデガッセにある中国料理店で皿洗いに精を出していた。かたや僕は街を徘徊しては誰かれ構わず話し掛けてドイツ語会話の実技に専念し、ショーウインドウで見つけた安いタイプライターを買って、文通相手に手紙を書いたり、お仕事の企画書作りに夢を追っていた。

そんなある日、前述の日本人ダンサーが訪ねてきた。
「仕事でウイーンに行くが、銀行から引き出し忘れたので、お金を貸してほしい」。当時では大枚の100ドルを疑いもせず貸してしまった。一ヶ月経っても音沙汰なし。先行き不安になり、僕も中国料理店の皿洗いで雇ってもらった。オーナーは中国人だが早稲田大学を卒業している。若いときはテノールのオペラ歌手で、店奥の自宅から、ときどき壁を振動させるような声が聞こえてくる。後妻の奥さんはウイーン生まれで、彼との間に一人の幼い女の子がある。先妻の娘が同居していて、大学に通っているが、仲は良くなく傍目にも分かる。ペティーはその寂しさから、人畜無害の僕を話し相手にすることが多くなった。そんな二人を大目に見ていたオーナーから「シンはドイツ語と英語が話せるからウエイターとして働いてほしい」。私はすかさず切り返した。「アルバイトビザを取っていただければ」。これで私は自由に仕事が選べるし、自分のアイデアも売り込める。

この間にもいろんな出来事があり、ミッキーは冬のキッツビューエルでトニーザイラースキー学校の先生の職を得たが、受け持った子供コースの生徒を迷子にさせて首になり、ショゲてご帰還。僕もツェルアムゼーでカメラマンとしての仕事を得たが、過酷過ぎたので、ひと夏で辞めた。


デパート・タールハマーに就職
一か八かで面接に乗り込んだ先は、ザルツブルグ旧市街の目抜き通りにあるデパート、タールハマー。タイプライターで打ち上げた履歴書には、カメラマンであり、デザイナーであり、文筆家であり、コンピュータ技術者であり、登山家であり、ドイツ語、英語、中国語に堪能なオールマイティ有能人材であることを書き述べてある。第二次大戦では同朋として戦った純粋無垢勤勉な日本人の血が通っていることを書き添えて。うれしいことに契約成立。当時の広告宣伝はショーウインドウが主体だったので、カメラマン兼ショーウインドデコレーターとして職を得た。自分を売るためにはハッタリが命の世界であることを確信した。

ここで僕は極めて多くのことを学んだ。オーストリアの人と土地柄を体で知ることができた。ハッタリのデザイン力も、ここで培うことができた。ファッション撮影も始めて体験した。企画部長より部長秘書にうけた。右の写真はクリスマス商戦用に飾り付けを終えたときの一枚。なぜか親友のフリビーがいない。この後ワインケラーで打ち上げたが、部長秘書エリカから二次会も誘われた。「ニューフェイスは一文無し!」。


エリカはチャーミングな、ドリスデイのような大人の美人である。おそらく五つぐらいは年上の独身女性。少しソバカスが目立つ。「任せておきなさい」の言葉で渋々ついていった。何のことはない、二人だけである。彼女の早口はザルツブルクの方言が混じって理解できないことが多く「待った、待った」と口を挟む。それが面白いらしく、さらに早口でまくし立てる。僕の悩む顔に興味があるらしい。彼女から教えてもらったこと。電車内、人混みの中で女性に触れたときには、すぐ「パードン」と誤りなさい。これは痴漢扱いされない厄除けの言葉です、と。そう言いながら、飲みながら、彼女は私の手をずっと握りっぱなしである。彼女から見ると、私はよほど子供に見えたのかも知れない。東洋人の年齢を当てるのが難しいらしく未成年扱いである。したたか飲んで帰る頃になるとテーブルの下から手が伸びて、お札を渡してくれる。「お金を払うのは、男の役よ」。
僕も頑張らなくっちゃあ。

それからも時々二人のワインが続いたが、フリビーという同僚が、若い世代の社交場のナビゲーターになってくれた。右の写真は物騒だが、ネオナチの残党ではなく、こんな冗談が好きな仲間なのである。彼の家に集まると、ビールの乾杯の音頭が「ハイル・ヒットラー」ではなく「アインリッター」と叫ぶ。どことなく語感の似た皮肉たっぷりの言い回しだが、アインは数字の1であり、リッターはそのままの外来語として日本でも定着している。つまり1リッターを飲み干す意気込みの掛け声である。


危ないパーティー
僕の住処はすでに3回目の引越を終えていた。アルバイトの中国料理店ウエイターの実入りも多くなって、バス付きのアパートをカプツィーナベルク脇に借りた。ある日のこと、仕事を終えて風呂に入っていたら、フリビーが仲間と押しかけてきた。ディスコへ行くから誘いに来たとのこと。彼らはソファーの回りに座り込んで紙巻きタバコを作り始めた。銀紙の上にUFOを載せて煎り始め、それをきざみタバコに混ぜ合わせて、器用にタバコを作り、回し飲んでいる。僕の順番が来たので、怪しいとは思ったが付き合って体験。何でも試さなければ成長しない! 三巡ぐらいすると、なんだか気持ちよくなりホンワカしてくる。「出かけるよ」のフリビーの言葉でディスコに向かった。いつもと違って、ディスコのハイテンポなミュージックが、スローでお腹に響き渡る。踊っている自分もスロー感覚で気分がいい。フリビーは言う。「ドリンクを注文しなくてもいいから、安く上がるんだ」。僕の初体験はずっと昔に時効。

帰り道で別のグループに絡まれた。フリビーが僕に目くばせして、「シンの出番だよ」。僕が前に出る。「ボク日本人。柔道が大好きなんだ」。これで何事も起きない平和な街だった。まだまだ日本人は未知の民族であり、不気味な存在に映ったのだろう。別れ際にまたまたフリビーが言う。「この子を今晩泊めてやってね」。ドッキーン!
ディスコで踊っただけの間柄でどこの誰なのかも分からない。迷ったが断りもできず、アパートに招いた。彼女はさっさと私のベッドに潜り込み、酔い疲れて寝入ったが、私はソファーで一睡もできなかった。
同じ職場で気にかかっている女性がいる。フリビーはその存在を知っていて、僕を試している。デパートのフロアをキビキビ歩く姿は、他の同僚も気になるらしいが、近寄りがたい雰囲気が、彼女を包んでいる。



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