秋の涸沢と北穂高岳

秋の涸沢と北穂高岳
からさわ 2300m地帯 きたほだかだけ 3106m

北穂高岳山頂の夕暮れ
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夕食後ただちに外へ飛び出した。寒い! 滝谷を吹き上げる風に凍えそうだ。白山連峰と笠ヶ岳の間に陽は落ちた。

涸沢の黄葉紅葉


9月の残暑と台風でナナカマドが傷み、真紅の輝きがなかった。

ナナカマド


左/涸沢岳は本峰をガスに包ませていた。ザイテングラード下部より。 右/常念岳。涸沢下部より。

北アルプス稜線の風景


左から/涸沢カールの秋模様・涸沢と前穂針峰群・はるか甲斐駒の左に富士山が望まれる
北穂山頂よりキレット越しの槍ヶ岳・前穂高岳に穂高連山の影が日没を告げる

梓 川 叙 情


早朝の上高地には静寂が漂う。梓川の流れを下流から追ってみた。左から/バスセンター付近・河童橋・小梨平・明神付近

山名 北穂高岳
標高 3106m
所在地 長野県
登山日 2004年10月1〜2日
天気 初日快晴、二日ガス小雨
メンバー 単独
コースタイム
10月1日  
05:50 上高地
06:25 明神分岐
07:05 徳沢
07:45 横尾 朝食/08:00
08:45 本谷橋
10:35 涸沢小屋 昼食/11:20
14:40 北穂高岳山頂
10月2日  
06:20 北穂高小屋
07:10 涸沢岳最低鞍部
08:10 涸沢岳山頂
08:30 穂高岳山荘/08:45
10:15 涸沢小屋/10:30
12:10 本谷橋/12:30
13:20 横尾/13:45
15:45 上高地

早朝の梓川を遡ると、象徴的な明神岳がモルゲンロートに燃えている。写真クリック拡大表示。

予定より30分遅れで歩き始める。
朝3時過ぎには沢渡駐車場に着いたが、ちょっと寝るつもりが思わず熟睡。平日に休むことの難しさで、前日の半徹仕事がたたった。車外の音に目覚めたのが5時過ぎ。慌ててタクシーに駆け寄り、相乗りできないか聞いたが、すでにいずれも満杯状況。つれない素振りで発車していった。待つこと5分でタクシーが止まった。「乗れますか」の問いに肯く運転手。ただちに客引きに向かう。二人組の女性の車に近寄り、「タクシーに相乗りしませんか」。「いえ、私たちはバスを待ちます」。「バスはいつ来るか分からないし、割り勘なら料金は変わりませんよ」。彼女たちはいかがわしい目つきで私を見ている。ダフ屋とでも思っているのか・・・。向い側の男性にも声をかける。二つ返事でOK。若いのに見る目がある。タクシーに戻り、運転手にもう少し待ってくれることを頼んでいたら、女性が来て、相乗りしますとのこと。四人での割り勘は一人当たり1,150円。バスより150円割高になったが、早く着けたことに感謝されるべきだろう。私の勝手な論理だが・・・

初日の行程は標高差1600mの北穂高岳山頂
まだ寝静まっている上高地を後に、梓川の左岸をピッチ走行。今回の目的は紅葉と北穂山頂からの展望なので、花を撮影する道草はない。とりあえず本谷橋までに遅れを取り戻すべく急ぐことにした。樹間に明神岳が朝日に赤く染まっている。明神槍はことさら印象的である。先行タクシーの登山者が休む明神館を尻目に急ぐ。徳沢園の屋根に白い煙が立ち込めている。ここの雰囲気はいつ訪れても気分がいいが、滞在したことがなく常に素通り。評判のステーキは、この歳になると魅力とは言えない。そのうち夫婦で訪ねることもあるだろう。喉を潤して直ぐに歩き始める。横尾まで2時間弱。ここで朝食の握り飯をほおばって再び歩く。


屏風岩が大きくはだかる。600mの大岩壁は威圧的で威風堂々。パノラマコースから屏風の頭に登ったことはあるが、槍ヶ岳を見ることはできなかった。横尾までのオーバードライブをシフトダウンしてサード歩行に落とす。屏風岩の表情を観察しながら歩く。紅葉は2000mより麓へ下り始めている。台風一過の秋空は深く澄んでいる。平日の山行はタブーにしていたが、涸沢、北穂高岳の紅葉シーンは週末を避けたい。山小屋のふとん一枚に3人は思考不能。金曜の北穂高小屋直行なら安眠できると判断した。
本谷橋は新たに吊り橋がかかっていた。最後に訪れてから30年以上が経過している。昔を忍んで沢筋に降り、岩伝いの木橋を渡りしばしの休息を取る。ここからは徐々に勾配がきつくなる。ギアを更にシフトダウンしてセカンドで歩く。横尾尾根の黄葉が鮮やかだ。屏風岩を回り込むように右岸を登っていく。所々でガレ場をトラバースしながら順調に高度を上げる。ダケカンバも黄色に変わりつつある。ナナカマドがおかしい。黄色や橙色のものが多く、既に傷んで茶褐色の斑模様状態である。どれもアップには絶えられそうもない。穂高連峰が前方に見えてきた。いつ見ても素晴らしい景観だが、紅葉シーズンは格別である。屏風と横尾尾根に挟まれて、前穂、吊り尾根、奥穂、唐沢岳のスカイラインが涸沢の紅葉に映える。自然を愛するものにとって至福のひと時である。一通り撮影を終え、景観を脳裏に焼き付けてから涸沢カールの入口に向かう。涸沢ヒュッテには向かわず、涸沢小屋への道をたどる。前方に見えるのだが、なかなかたどり着けない。ハイピッチのツケが回ってきたようだ。爪先の指が痙攣している。膝の関節もオイル切れの様子でぎこちない。風もなく露天の岩屑は天然サウナそのものである。


やっとの思いで小屋のテラスに陣取った。とは言っても独り旅。気ままに昼食を取るべく店開きを始めたが、座った場所が悪い。目の前の冷たそうな水にキリンクラシックがプカリプカリ。今日は禁酒宣言して、ザックにもアルコールは入れなかった。元来誘惑には滅法弱い私のこと。結果は火を見るより明らかである。「お嬢さん、いくら?」。「500円です」。グイッと一気に飲み干す快感。

涸沢は標高約2300m。今日の終着駅、北穂高岳は3106mだから、まだ800mの高度差を稼がなければならない。ビールパワーを見せつけるべく意気揚々涸沢小屋を後にしたが、北穂高沢下部のゴルジュ帯、岩クズ登行でアゴが出始める。一気に汗が噴き出す。ギアをローに入れ替えジグザグに一歩一歩ゆっくり登る。足元が崩れることの辛さ。途端に疲労度が倍増する。若者が一人、ハイマツの木陰で休んでいる。「暑いですねえ」と声がかかる。応える余力はまだ残っている。「ホントに暑い」。笑顔を返して先を行く。また一人、木陰に休んでいる。「北穂ピストンしたいのですが、大丈夫ですかね」。オイオイ。俺は君の実力を知らんよ。素っ気ない返事もできないので、「大丈夫でしょう」と、無責任な返事。私ゃ、それどころではないんだよ。またまた笑顔を返して先を行く。二人連れのお年寄りが道を譲ってくれた。とは言っても私と同じ60代だろうが、70代に近い夫婦のようだ。先日いいことを聞いた。100才に到達しなければ、みんな10代なんだ。そう、私も10代の若さで登るぞ!。
岩クズの登山道が左にトラバースしてやっと南稜の取り付き点に着いた。逆層スラブの大きな岩場に鎖が垂れ下がっている。これを皮切りに危険な個所には梯子、鎖が整備されている。極めて親切で行き届いている。久しぶりの岩場を楽しむため、利器に頼らず岩のクラックに指を馴染ませながら登る。とは言っても左は60肩で手を伸ばすことはできない。下を見下ろせば涸沢カールが美しい。逆光の前穂高岳針峰群が見事な造形を見せている。やっと屏風の頭が水平位置より下方に見える。まだ半分の消化程度か。
北穂高沢を挟んで東稜が延びている。その右にははるか後立山の鹿島槍や白馬岳がうかがえる。北穂高岳東稜は一般ルートには記されていないが、残雪期の人気ルートで、私も山岳会在籍時に経験している。無雪期のほうが難度が高そうである。蝶ヶ岳から燕岳の稜線越しに妙高、浅間、蓼科八ヶ岳、南アルプスが見えるようになってきた。じっと見ると、甲斐駒の左手にうっすらと富士山が見える。今日は雲ひとつない秋空である。頂上も近いようだ。テント場を過ぎると、賑やかな団体パーティがくつろいでいる。私も最後の休憩をとり、パーティの後から歩くことにする。すでに足は棒になっている。奥穂へのルートを分けて右へ進み、岩壁付け根をトラバースして少しの登りで北穂高岳北峰山頂に着いた。

上左/左が奥穂高岳・右奥がジャンダルム。 上右/滝谷第2尾根
山頂で写真を撮ってから、団体さんの記念写真のシャッターを切り、すぐに北穂高小屋に入った。笑顔の美しい娘さんの応対が素晴らしい。疲れが一気に吹っ飛ぶような感じで、若いスタッフみんなが好感もてる態度だった。夜は予想通り、ひとり一枚の寝具でゆったりできた。



二日目は予定を変更して涸沢岳経由で下山
昨日の日没は荘厳だった。欲を言えば、雲ひとつない空は単調すぎておもしろくない。その時の翌日の天気は晴れ後曇り予報。夜中にトイレに出かけたが、月が出ているにもかかわらず星が輝いていた。夜中に何回も目が覚めた。しかし、待ちに待った夜明けはガスが充満している。朝食後も粘ってみたが晴れる気配は全くない。天気が良ければキレット経由南岳、天狗池、槍沢から上高地へ戻るつもりだったのだが・・・。

昼から雨模様との情報に、縦走をあきらめて引き返すことにした。そのままピストンでは味もないので、涸沢岳、白出コル、ザイテングラート経由で下ることにし、雨の前に涸沢に着けるよう早々に出発した。南稜との分岐を右に取り、ガスの稜線に出ると蒲田側から吹き上げる強烈な風の歓迎を受ける。ストロー級の私にはきつい。よろけることしばしば。霧雨で岩が濡れているので手袋を装着する。北穂高・涸沢岳間は適度に岩場が楽しめるので人気があるが、こんな日は注意したい。ガスは深いがルートファインディングは易しい。ペンキマークが懇切丁寧に○×→で書かれている。危なっかしい場所には鎖や梯子が設置されている。昨日同様に岩と親しみながら指を馴染ませて通過する。滝谷側は風に凍てつくが、涸沢側は無風状態で暑いぐらい。緊張する逆層スラブの下りで単独登山者とすれ違う。槍方面へ縦走するとのこと。「気をつけて」の言葉で別れる。最低鞍部で一息入れ、いよいよ涸沢岳への最後の登り。女性3人パーティとすれ違う。歳は20〜50代の親子のような編成である。ひとりは頼りなさそうな引きつった顔。場違いの雰囲気は「こんなはずではなかった」と、言いたげな表情に表れている。二言三言の会話で別れを告げ、先を急ぐ。雨が降っているわけではないのに、霧で衣類がびっしょり濡れている。スリルの縦走路は涸沢岳本峰を右に巻くところで終わる。山頂標識を確認して即下り、間もなく穂高岳山荘のある白出コルに着いた。ここは賑わっている。濡れた衣類を着替え、ザイテングラートを下ることにする。ちょっと下ると涸沢には陽が当たっている。下界は天気が良さそうだ。

涸沢から横尾までが大変だった。今日は土曜日。週末の涸沢紅葉を楽しむ人の多いこと。私が下る3時間弱の間に、少なくとも1000人以上の人とすれ違っている。すべての登る人に道を譲っていたら、日が暮れてしまう。絶え間なく続々と上がってくる人に、時々大声を掛ける。「グループの切れ目で止まって下さい」。登り優先の権利だけ主張していたら、大渋滞になりかねない。最近の山では、そこまで気の回る人も少ないようである。見るからにガイドらしき人物でさえ、気も使わなければ、礼の挨拶もない。
権利を主張したがる風潮を、山にまで持ち込んでほしくないものである。自然や人との関わりは、思いやる心が基本であって、マナーというものはそんな経験の中で自分で気づくものではないだろうか。
横尾で昼食を食べていたらポツリポツリ。隣のカップルが雨具を着るか否かでもめている。それを機会に私も仲間入り。彼は松本生まれで現在長野に勤めているとのこと。槍ヶ岳から戻ってきたとのことである。北アルプスには若い登山者が多い。うれしいことである。今日の判断は大正解で、この後、上高地梓川雨情にひたりながらバス停に戻った。

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