関ヶ原と伊吹山 デジカメ山野草トレッキング
笹尾山と伊吹山 滋賀県・岐阜県


石田三成が陣を敷いた笹尾山から関ヶ原を望む

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ダイモンジソウ

ユキノシタ科ユキノシタ属。高さ5〜40cm。花径1〜2cm。
花弁のカタチが「大」の字に似ているからといって、この命名には情緒がない。ユキノシタにもじって「ツユノシタ」。

ヒメフウロ

フウロソウ科。ゲンノショウコの仲間で石灰岩地に分布する。高さ15〜40cmの一年草。

その他の野草

イブキコゴメグサ・アキチョウジ・ミツバフウロ・クサボタン・ナギナタコウジュ・ゲンノショウコ
その他、アキノキリンソウ・イブキトリカブト・イブキアザミ・リュウノウギク・アケボノソウ・ミゾソバ・シオガマギク・フジテンニンソウなど


2006年9月24日(日)
06:40 自宅発
07:50 関ヶ原・笹尾山
08:20 伊吹山ドライブウエイ入口
13:00 静馬ヶ原発
14:10 帰宅
伊吹山はしょっちゅう来るのに関ヶ原の史跡を訪ねたことがない。大河ドラマ功名ヶ辻で山内一豊はどこに布陣したか。

朝9時、伊吹山ドライブウエイ入口で仲間との待ち合わせ。早めに出て関ヶ原古戦場を訊ねてみた。関ヶ原インターチェンジから約10分で西軍の將、石田三成が陣取った笹尾山駐車場に着く。ここから写真の馬防策の間を抜けて10分も登れば笹尾山の展望台に着く。養老山地、鈴鹿山脈が連なるその手前に古戦場が開け、両軍の布陣が手に取るように眺められる。歴史の年表を憶えることは苦手だったが、1600年だけは今でも記憶している。ここの史跡に記されているものをまとめてみる。

天下分け目の合戦であまりにも有名な関ヶ原合戦は、慶長5年9月15日に豊臣と徳川がその運命をかけた一大決戦であった。笹尾山が豊臣側の石田三成陣跡である。戦は一進一退容易に決するとも見えなかったが、養老側松尾山(西軍右側最前線)小早川等の反逆で、大谷の陣営(右側)から崩れ始め、ついには徳川(東軍)の大勝に帰したのである。
石田三成率いる西軍は約84000の兵力、徳川家康率いる東軍は約74000の兵力。東軍を円弧状に包んだ兵力と地の利に勝る西軍が、最右翼に展開していた小早川、脇坂らの反応軍の右翼大谷吉継を攻め崩してから一気に形勢が決まった。

徳川の東軍にまわった山内一豊はいかに戦ったか。今後のドラマの展開を楽しみにしよう。
その後仲間と待ち合わせ、伊吹山ドライブウエイから北尾根取り付き点に駐車して、野草を求めそぞろ歩き。会話の中にのんびり昼食をとってから下山した。

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